何の為に 人生の座標軸

 普段感じたことを雑記にしたり、読んだ本のレビューをしようと思います。関心のある分野はコンピュータから宗教まで! 山口県山口市在住(出身:同県下関市)  1969年生まれ  IT部署に勤める会社員  子育て真っ最中!猫2匹同居

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 本人も忘れるくらいのこと。今日は42歳の誕生日でした。facebookで友人曰く、「バカボンのパパを超えたね」と。バカボンのパパは終わりの歌で「41歳の春だから・・・♪」と歌っている。

 42歳になったからとこれといって感慨もないのですが、白髪はずいぶんと大きくなりました。子供は10歳と6歳・・・。

 人生を80歳と仮定すれば、半分。60歳と仮定すれば、18年。役職定年まで13年、定年退職まで18年。年金まで23年。

 不惑が40歳だけれども、50歳で天命を知るというけれども、その境地にはまだまだなりません。

 今朝、通勤途中に嫁から携帯電話に着信。飼っていたウサギのピーター君がケージの中で死んでいたとのこと。嫁は仕事を休んで、動物霊園に。

 デジカメの写真をみると、2002年6月頃から飼っていたようです。当時は社宅に住んでいたので、小動物をということで、嫁のリクエストもあり買い始めました。ペットショップでは「ミニウサギ」として売られていましたが、実は「ミニウサギ」は品種ではなく、いわゆる雑種の通称であることは、後から知りました。

 ピーター君は、結構いろいろやらかしてくれました。普段はケージの中にいるのですが、放牧で社宅の中で運動させると、畳はかじるし、柱はかじる・・・。社宅を引っ越すときは、畳を取り替える破目に・・・。あとは放牧中におしっこをして、布のソファーを台無しにしたり・・・。

 気性もけっこう荒かったのかもしれません。ウサギはまとまったところでトイレをする習性があるのですが、トイレの破壊を何回もしました。1週間で破壊されたことも。また、餌を入れているトレーもちゃぶ台返しのようにひっくり返したり。その都度、対策をして、知恵比べをしました。

 広島から帰省するときは何日も社宅を留守にするので、ケージごと車に積んで、自分の実家や嫁の実家に帰っていました。2泊くらいまでなら、お留守番はできるのですが・・・。

 子供にとっても物心ついたときには、そばにいるような存在だったと思います。10歳になる上の子供は2歳になる前から一緒だし、6歳の子供は生まれたときからいたし。写真の中には、娘が小松菜をあげているものも残っていました。

 タイトルの「ペットの死から考える」に戻ると、ペットの死は何を与えてくれるかということです。まず、ペットを飼うというのは、楽しい反面、最後まで面倒をみるという覚悟が必要です。また、ペットをかうにはそれなりの費用も必要です。旅行に行くにも、いろいろと準備をしたり、気を使うことが多いです。それでもペットと暮らすというのは、何かがあるのでしょうね。私にとっては、小さいものをいとおしむという感情があります。子供たちには、自分より小さくて、弱いものを大切にするという心を学んで欲しいと思います。

 また、身近な人を亡くす。あるいは、死んだ人をみるという体験も少なくなってきました。私にとって、身近な死は母の死で自分が20歳の時でした。それ以外には今までありません。(もちろん、知人の訃報はありますが)
 嫁さんも祖母を亡くした体験があるだけだと思います。一緒に暮らしていたわけではないので、身近な死とは違うかも知れません。

 昨日存在していたものが、今日はない。それが”死”だと思います。その"死”に出会ったとき、「あれもしてあげればよかった」、「あれはしなければよかった」という後悔はつきものです。私はそういう後悔の感情が母の死から1年以上続きました。人によっては、深刻な心のトラブルになるときいています。

 ペットの死というのは、人の死とは違いますが、そういう彼岸を感じる時だと思います。当たり前のような昨日が、当然のように今日訪れて、明日がくる。その連続を破るのが”死”です。

 「喪の儀式」と死を受け止める気持ちの変化を表現する人がいました。肉親の死で立ち直れない人は、そのときに泣けないそうです。「喪の儀式」として、悲しむことが大切なんですね。

 2年前にも猫(ミルク)を亡くし、今回はピーター君。子供たちは、二つの死を体験したことになります。また、今も猫が2匹(クッキー、マロン)がいます。

 死んでいったミルクやピーター君を通じて、”死”の意味を知り、生きている命の短い、小さくて、弱いものから、”生”を感じ、生と死が別物ではなく、一体であることを学んでいきたいと思います。

2011年1月21日没 ピーター君 8歳
 ありがとう。そして、また会おう!
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