田原総一郎氏がサンデープロジェクトを終了するまでの21年間の舞台裏を書いた本です。

 面白いと思ったのは、事件・問題の「当事者を必ず出演させる」、「欠席裁判はしない」という方針。あれだけ、突っ込まれれば、政治かも出演をしたがらなくなるだろうと思うのですが、それでも出演をしていたというマジックは、この公平性とスタッフの熱意だと思いました。

 この21年を振り返ると、脳裏に場面がよみがえってくるところもありました。しかし、もう小泉さんの時代から、そんなに時間が流れたのかという不思議な感覚があります。

 「朝まで生テレビ」、「サンデープロジェクト」というのは、生放送という仕組みを使って、田原総一郎が当事者の姿を議論・討論で明かしていく。そして、それが時には政局になったり、放送後のお昼のニュースになったりしてきた。

 なぜ、サンデープロジェクトが2010年3月で終了したのか?本書の最後のところに触れているが、会食の場でテレビ朝日の君和田社長が田原さんに告げたようで、テレビ朝日の役員が「社長がこんなに腰を低くして・・・」と間に入ってきたので、問う気もなくなり、田原氏は理由を知らないそうである。
 この件で、インターネットを検索してみると高野孟のブログ「サンプロが終わって何が残るのか? (高野孟の「極私的情報曼荼羅」)」という記事に、朝日新聞というキーワード、君和田社長自信が嫌っていたという言葉が出てくる。もしかすれば「タブー」に触れたのかも知れない。

 ちょうど、3.11の地震、津波、原発の報道がされている。特に原発については、現在も災害が進行しているという異常な事態である。その中で政府・東電・マスコミの発表が「遅い」、「透明でない」、「過小評価」、「(視聴者が)判断に足る情報がない」という意見が出ている。
 それを補足するかのようにインターネットの動画配信サイトであるユーストリームやニコニコ動画が、編集なしの記者会見を生放送してみたり、テレビ局が自主規制で出すことができない反原子力派の学者の対談などを放送している。田原氏もそのようなメディアに出ている。
 また、ツイッターなどでも、いろいろな立場の人の意見を拾うことができる。田原氏も「@namatahara」で登録されており、フォロアーが2万5千人になっている。

 「サンデープロジェクト」の終わりは、テレビ局の限界という象徴かもしれない。スポンサー(広告)のあるテレビ局では、どうしても報道に自主規制が入るのだろう。新聞もそういう面がある。今回、不思議に思ったのは、民放よりもNHKの方が切り込んだことである。
 一方、スポンサーのない(?)インターネットメディアは自由度が高い。フリージャーナリストの活躍もすごい。今回は上杉隆、岩上安身など自由報道協会の面子の活躍が目立つ。

 しかし、メディアというのは、良い面も悪い面も持ち合わせている。今回、マスメディアが自主規制をしたのは悪い面だ。しかし、説明がわかりやすいかどうか、幅広い地域や年齢層に情報をいきわたらせるというところでは、テレビの力はすごい。
 インターネットは確かに「早く」、「多様な」、「少数の意見」も見ることができる。しかし、その情報が正しい情報なのか、読み解く力、リテラシーが必要になるし、テレビのように広く知らしめる力は現在のところは持っていない。(ただし、ツイッターで革命が起きるくらいの力はある)

 また、ニコニコ動画の記者会見を一般人が2時間半見るというのは、つらい。確かに一次情報に触れることが出来るというのはすごいことだが、「編集」や「要約」が欲しいと感じた。記者会見を動画でアーカイブして、フリーのプロ編集者が編集を行い、一次情報が検証可能な状態でハイライトの動画を公開する。あるいは、テキストにして公開するということはできないだろうか。

 新しいインターネットなどのメディア空間に、第2の田原総一郎と呼べるような人が現れるのだろうか?現れるとしれば、それは上杉隆、岩上安身といったフリージャーナリストなのか。プロ以外のジャーナリズムが現れるのか。今回の3.11の衝撃は報道のあり方も問うているように感じる。

 田原総一郎氏の講演で紹介した山口市民文化大学の際に会場で購入した本でした。サインをいただきました。
今だから言える日本政治の「タブー」
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